とある雑誌のインタビューが先日ありまして…っつっても読者欄でちょこっとコメントみたいな奴ですが、それが掲載されているものをカミさんの実家が買ったとかで、「載ってるよ」と持ってきてくれました。
ここ、電話で「お時間取らせませんから」とか言って聞きたいことだけ聞いといて、さらには載っける前の添削まで送りつけてきたくせに、その後は一切ナシのつぶてなのです。修正のお願いしたものがどう直されたかの報告もなけりゃ、掲載誌を送ってくることもありません。手間だけがかかり、そしてこちらからの問い合わせメールに対しては何の返答もなしと、けっこうムカつかせてくれるところです。
けれどもまぁ、わざわざ電話して問いつめるかっつっても、掲載号をこうして手に入れることができた以上、今じゃどうして欲しいというのがあるわけでもありません。ムカつきはありますが、そんなもんをただぶつけたって互いに気分が悪いだけの、やるだけムダな話なわけでしてね。
なので「気にしないことにして忘れよう」と、今の今までは思っておりました。
ところがですね。見せてもらった掲載号を見てみると、「直してね」とお願いしたはずのものが直ってないのです。こんな偉そうな話してないからやめてと言ったのに、わかりましたと言ったのに、変わることなく載っているのです。えっらそうに、賢しげに、間違ったことを語る奴として。
結局のところ、その人が述べたい見解を、ただ他人の名前にのっけて発信しているだけじゃんかコレ、としか思えない内容でした。
これって、発言の責任だけを人に背負い込ませておいて、自分は安全圏に居ながら金をもらってるということですから卑怯なことこの上ないのじゃないかと思うのです。
さらにタチの悪いことに、この人の場合はすべてのやり取りが電話だったもんだから、途中の証拠も一切残ってないんですよねぇ。
やれやれです。
今年に入ってから、ほんの片手であまるほどの回数ではありますが、インタビューというものを受けました。たったそれだけでも、インタビューには二種類のものがあるってことがわかりました。
それは…
「その人の考えを聞き出したいと思うもの」
「その人の名前だけを借りたいと思うもの」
…の二つです。
自分の名前にたいした価値があるとは思いませんが、少なくとも責任転嫁する対象にはなり得ます。少なくともネタとしていじり回す対象にもなるようです。
うまいインタビュアーさんは、そのあたりをソツなくミックスさせてこちらに迷惑がかかるか否かまで考えを及ばせてくれるようですが、よろしくないインタビュアーさんだとさにあらず。自分の書きたい論旨ばかりが先にたって、その結果でこちらにどう迷惑がかかるかなんて考えてもくれません。
自分の名前で、自分の口が吐いた言葉として、言ってもいない内容を賢しげに語る奴として書かれると、ホント勘弁してくださいの世界です。
世に「インタビュー嫌い」なる人がいるとは聞いていましたが、それってこうやって出来るもんじゃなかろうかと、最近はそう思い始めています。
今回の教訓としてもっとも学んだことは、「気をつけなきゃいけないのは手間のありなしではない」ということ。自分の名前を貸すということになるのだということこそ、もっとも考えなきゃいけないことだったなと反省しています。
そんなわけなので、今後はよほどメリットがあったり、信頼できる人相手でない限りはインタビューを受けたりすることはないと思います。いくら手間を取らせませんからと言われても、断ります。
もっとも、そんな機会自体、年に数回あるかないかでしょうけど。でも、もし断られたりしても恨まないでやってください。 |