2002/01/13 『あけおめことよろ』

遅まきながら、あけましておめでとうございます。

昨年度は、メインであるはずの4コマまんががまったくといっていいほど更新できず、楽しみに来てくださる方々には本当に申し訳ありませんでした。
それでも「閑古鳥が鳴く」という程には見捨てられることもなく、おかげさまでこうして再度更新していこうって時のハリとなりました。ありがとうございます。

今年は昨年のようなこともなく、多分いままで以上の頻度でサイトを更新していけるのではないかと思います。

ですので、どうか今年もひとつご贔屓によろしくお願いします。


2002/01/22 『ところかわれば…』

自宅で仕事をするようになった。
こういって一番言われることは「自己管理が逆に大変だよ」ということなのです。

メリハリつけた生活ができるかとか。
誰も見てないとこでさぼらずにやれるかとか。

自分の真価が問われるといっても過言ではないほど、そりゃあ自宅で仕事するってことは意志の強さが問われるのです。

自宅で仕事をするといっても仕事は仕事。
サラリーマンしてた頃と同じように、やるべきことに違いはないのです。

この1ヶ月、ちゃんとやれているか?なぁ俺よ。

そう自問自答してみました。

結果、自分は会社勤めしてた頃と何の変わりもありません。

変わりなくダラダラと夜更かしをして。
変わりなくさぼりまくってます。

サラリーマンやめた途端に自堕落な生活に歯止めがきかなくなる人が多い中、なんのことはない、はなっから自堕落だった自分にとっては変わりようなんか逆になかったのです。

これは新発見でした。

そろそろ性根をたたきなおさねばいけません。

そう思いました。


2002/01/25 『さらばヤマダ電機』

うちの近所にあるヤマダ電機。関東にしては珍しく値引き交渉を楽しむことができるってんで、すっかり愛用のお店として、何か欲しいものが出るたびに足を運んでいました。
ところが、このヤマダ電機。ある日を境として「ポイント還元制度」なるものを導入してしまったのです。

まぁ、この制度自体はもともとヨドバシカメラで慣れ親しんでたものではあるし、結果として安いのならば良いですがね。
近所にあって車でのりつけられることでもあるし、その時は悠長に構えていたのです。

ところが、ポイント制度を導入して以降、「値引き交渉」という単語は一切消え去ってしまったのです。
しかもそれだけでなく、「ポイント還元よりも現金値引きを求めるお客様の声に応じて、この商品は現金特価となりポイントはつきません」という、ポイントがつく品とつかない品をわけやがったのです。
ポイントがつかない品は、どう見ても「売れ筋の家電」。でもって特価といいながらぜんぜん安くない。
さらに一旦「値引き交渉」文化を否定してしまった店だけに、現金特価といったって、交渉になんか応じてやくれません。

ポイント還元を考慮すれば、明らかにどの品もヨドバシカメラより高いのがほんとのとこで、「他店より高ければいってください」という売り文句も、ポイント還元を抜きにして、単純に値札でくらべればヤマダ電機の方が安いわけだから聞く耳なんか持ちません。

一度は自分も愛用のお店にしてしまったくらいなので、かつては確かに安かったのです。そんでもって休日はでっかい駐車場が混みあってしまうほどに集客力を持つようになった矢先のできごとでした。

集客力を得る前の安さなんかかけらもなく。
なんとか安くしてあげようと相談にのってくれた親切な店員さん達も今はおもかげすらありません。
店員の数も明らかに減らされているために、ちょっと質問を…なんてことにも手間がかかってしょうがないですし、忙しいせいか態度の悪い店員の比率もどんどん上がってしまいました。

一度釣った魚には餌をやらない。
信用を作るのは大変だけど失うのは一瞬。
さてさて、勝つのはどちらやら。

栄枯盛衰を目の当たりにするのも遠い話じゃないだろうなと。
ヤマダ電機を素通りしてヨドバシカメラに向かいながら思うのでした。


2002/01/29 『いろんな責任』

このところ国会中継が楽しくてしょうがないです。
小学校のホームルームなんかで、いじめっこが口裏あわせさせて自分の悪事を隠すように、ムネオ氏が外務省官僚に口裏あわせさせて自分の行為を隠す。
されたことをとうとうと訴えかけるいじめられっ子マキコ。けれどもいじめっことその取り巻きは「何嘘言ってんだよ〜」とか、「んなありもしなかったこと言ってんじゃねーよー」とか言って黙らせようとするのです。

まぁ、ほんとにそうかってのが確定したわけじゃあないですけども、嘘言ったって何の得にもならないNGOの人が発端なんだから、その人の証言が一番信用できるでしょう。ならばムネオ&外務省官僚が嘘言ってるてのがこれはどう見ても真なわけで。

いい年した、それも偉ぶりまくった大人の方々が、童心にかえってはしゃぎまくってるのだから、これはもう楽しむしかありません。アホかと、あんたらは何じゃと、そう笑って見るしかないのです。

ところが予算の方が大事だから、こんな話をいつまでもひっぱっていてはいけない。そんな空気が濃厚になりつつあるのが困ったとこです。
だってね、「痛みを伴う改革」ってね、こっちは痛い思いするんでしょ?
それを小学生さながらの悪事ひとつも白日のもとにできないような、どっかで結局「身内(政治家)に甘い」ままの体質なんだとしたら、そんな人たちに改革は無理でしょうやね。
それだったらはなっから何にもするなと。
痛い思いするだけこっちは損なんだから、やってくれるなよと。
今の政府が自浄作用を持つか否かが試されてる時に、「腐った旧体質を打破しなければいけない」と言った責任をはたすのかどうか試されてる時に、それをないがしろにはしてほしくないなと思うのです。

そんでもって、もうひとつ楽しいのが雪印。
どれだけ不正が暴かれてくるのかということ自体も確かに興味深いんですが、それよりも農水省の方々が楽しすぎます。

「許しがたい悪事!」
などと大騒ぎされてますけども。

チェック機構をぜんぜん持たない穴だらけな仕組みを作った自分らの反省は皆無ですか?
安全宣言とか言って肉食ってんの見た時も笑わせてもらいましたけど。
「あんたがテレビに出る度に肉が売れなくなるんだ」と言われて国会で逆切れしてるの見た時も笑わせていただきました。

いつまでも笑っていられないので、そろそろこの人たちにも自分の責任を自覚して、反省するとこから始めて欲しいんだけどなぁと思いながらニュースを見てる日々。

ほんと、つっこみどころ満載で楽しすぎです。


2002/01/30 『思わぬ拾い物』

とある事情で必要になったもんで、履歴書や職務経歴書なんてものを書いてました。
職務経歴書は約3年振り、履歴書なんかにいたっては新卒採用の時に書いた以来なのでかれこれ7年ほど昔のことになります。なーんでこんなに手間がかかるかなってくらい遅々として進まず、なんとかかんとか書き上げるのに相当な時間をくってしまいました。

こういうものを書く時のお約束としては、「書けるものは全部書け」というのがあります。できるだけ賑やかになるように、自分の経歴をほじくりかえしてとにかく豪華に着飾るのです。

履歴書で言えば資格欄。
「資格なんて意味ねーよー」と言い訳してめんどくさいのを避けてきてたもので、これまでこの欄には「自動二輪」だとか「普通自動車」とかいう「君はいったいどんな業種に対してこの履歴書を出すつもりかね」って資格しか書くことがありませんでした。
ところが前職の会社では、このご時世にしては珍しく「取れば金をやる」という会社であったため、受験前に本を一冊読みさえすれば取れる資格だけを選んで受験していたのです。
そりゃあソフト開発に約7年も従事していたんですから、情報二種やソフトウェア開発技術者(かつての情報一種)くらいはそんだけで取れちゃいます。
たったそれだけのことで一時金が数万円支払われて、さらに月々の給与にこれまた1万ばかしの手当てがつくってんですから、ありがたいことでした。
そう、気がつけば資格欄に並べることのできるものが2つも増えているのです。
相変わらず意味があるとは思ってないものの、なんか賑やかになっているのは見ててちょっと気持ちが良いのでした。

そして職務経歴書。
あー、めんどくせー、めんどくせーと思いながらだらだらと経歴を書いていたんですが、これもよく考えたら「豪華絢爛きらびやかに」経歴を彩らなくてはいけないのです。
なんかあったかなぁと考えてたら、これまたよく考えたら押入れのすみっこに何かの賞状をつっこんでたのを思い出しました。
ほこりをかぶりまくった賞状は、ひっぱり出して見ると2つあります。
これも前職の会社でもらったもので、賞状と一緒にもらった金一封だけをふところに入れて、賞状の方は捨てようとしていたものでした。
ただ、さすがに会社のゴミ箱に捨てちゃったらバレて大目玉くらいそうだったので、家に持って帰ってきてどっかにぽいっと放り投げたままにしていたものだったのです。
職務経歴書を飾るネタになるかなぁと見てみたその内容は「社長賞」。
2年半ほど在籍していたうち2回受賞してるってことは、ほぼ毎年受賞していたってことになるじゃないですか。
その実情はともかくとして、職務経歴書を飾るにはこれ以上ないネタをゲットしたのでした。

現役の時にはゴミだと思ったものでも、残しておくと思わぬ時に役立ってくれるものです。
いつ転身してもいいように、ゴミはこれからもちゃんと取っておこうと思いました。


2002/01/31 『バナー広告』

昨年末にサイバークリックがバナー広告サービスから手をひいたかと思えば、今トップにはってあるバナー広告の提供元であるバリュークリックが広告掲載費の値下げを決定しました。
そうしないと広告が取れないためのやむない措置だそうです。
当然おおもとの広告収入が減るのですから、うちみたいにそのバナー広告を掲載しているとこにだって影響がくるのは当たり前の話で、1回クリックされることに対してこちらに支払われる報酬は一律30%カットとなってしまいました。

もともと昨年ぜんぜん更新しなかったこともあり、クリック率は減少の一途を辿っています。
そこへきてさらにこの単価カット。
レンタルサーバー代が重くのしかかる、まったく厳しいご時世になったものです。

ところで自分が就職したのは1995年のことでした。
ちょうどWindows95フィーバーがおこった年で、横浜にあるBekkoameというプロバイダが低価格サービスをうちだして、インターネットというものに市民権を与えつつあった時代です。
Windows3.1上でモザイクやNetscape1.0が動き、学生がコーヒーサーバーに残っているコーヒーの量をWEB経由で確認できるようにしたものが、遠い日本の地にあっても見れちゃったりするんだよなんてことが、意味もなく「すげえ」ともてはやされていた時代でした。

自分の就職してからやったはじめての仕事はインターネット上に広告を掲載するサービスの構築というものでした。
実際にはプログラムなんて書くことはほぼなくて、「美術は5でしたよ〜」と先輩社員に答えたことがきっかけで、ただひたすらにアイコンやトップに飾るイラストなんかを描き続けていたのです。
イメージキャラクターはイルカだというので、春夏秋冬用に4つのイルカ、春は桜を愛で、夏は海で遊び、秋は温泉につかり、冬は氷山にたたずむ、そんな絵を描いていたのです。
このサービスはパシフィコ横浜で行われるコンピュータイベントに出展することになり、なぜだか来年配る会社のカレンダーにもこのイルカを使おうということになり、さらに8枚のイルカを描き足して、12ヶ月分イルカがしめるカレンダーが出来上がったりしてたのでした。

さてさて、広告掲載サービスなもんで広告をとってこなきゃいけません。
その頃なぜか社長室付けなどというわけのわからんポジションにいた自分は、朝出社しては電話帳をひらいて片っ端から電話をかけまくるという営業活動にいそしんでおりました。

ソフトウェア開発の会社にプログラマとして入社しておきながら、その最初の一年間にやったことは「イラストを描く」ことと「とびこみ営業」だったのですから不思議な身の上話ですが、とにかくそうして話を聞いてくれる客を捕まえては、自前でこさえた販促資料を片手に広告を出してくれ〜と歩き回っていたのです。

「インターネット?何それ?」
「インターネット?誰が見るのそんなもの」

当時としては至極まっとうな答えです。
ニフティサーブのようなパソコン通信の方がまだ知名度もあって市民権を持っていた頃の話。どのお客さんからも返ってくるのはそんな答えばかりでした。

結局その広告事業は今では跡形もなく消え去り、その翌年あたりから色々な形態の広告掲載事業が方々のベンチャー企業から現れては消え、姿かたちを変えて今へと続いてきたのです。

あの頃と今ではインターネットの知名度には雲泥の差があります。
気がつけばパソコンを持ってる家庭の方がかなり当たり前になってきました。

あの時の広告事業がぽしゃったように、その後あちこちから出ては消えていった広告事業のように、今のバナー広告という形態もまた消えていく時期になってきたのかななんて思う今日この頃。
けれども雑誌のシェアを食いつつあるWEBはもはや無視できるわけもなく、いったん「金になる」と思わせたインターネットを「金にならん」という結果に終わらせたくない会社がいっぱいある以上、手を変え品を変えて新しいサービスをうちだしてくるんでしょう。

ネットバブルもはじけちゃった厳しいご時世ではあるけども。
今度はどんな変化がおこるのかなぁと考えるとなかなか楽しみではあるのでした。